台風の影響も受けず、4日間の旅を終えることができました。
新緑と藤と山ぼうしの初夏の山々に迎えられました。
■14日(木) 午後。仙台から列車で多賀城市へ。
駅前では図書館を含む再開発工事真っ只中。大きなマンションも。
多賀城駅北地区第一種市街地再開発事業施設建築物新築工事(A棟)の
設計/監理はriaとの看板。
夕方。仙台に戻る。せんだいメディアテークへ。
(最初の訪問は開館3年後の2004年。)
大震災では書棚などが倒壊した写真展示あり。
本来の図書館ならば、刻まれた時間を感じるところ。
ああ、ここは図書館ではないのだと改めて思う。
反面教師として学んだことを
これからの活動に生かさねば!
・・・道路の「営業ごみ袋」、「資源物・家庭ごみ集積所」にも
注目しました。「ワケル君」は元気かしら?
■15日(金) 午前。福島県に隣接する山元町へレンタカーで。
ひっきりなしに行きかうダンプカーには
「海岸防災林復旧工事 林野庁 ○○建設」と。
「被災写真返却会場」の
引き取り主を待つ写真。
震災を経た、一枚一枚に、全国からも延べられた手と手。
山沿いの仮設住宅も
4年目に入った。
山を削って、住宅建設が進む。
海を、住民の声をさえぎって、防潮堤が造られる。
復興は誰のためのものか。
現地に立ち、声を聞くことではっきりする。
復興税を払う国民としてこころすべきことである。
自らの体験を記録にとどめ、伝えたいと立ち上がった
人たちの生の声をききながら、つい長居した。
浜街道に多重防潮道路は不要・キケンと
掲げた掲示板は朽ち初めている。
が、民意はしっかり根付き動いている。
次回はゆっくりお話を聞きたい。
ここで行きかうトラックには
「戸花川災害復旧工事(その3)○○(株)」。
「中浜小学校」跡地へ。「津波浸水ここまで」と
体育館2階の屋根近くに掲示。
「平成元年3月定礎」は海を背にした壁面に。
次は福島へ。まず南相馬に向かう。
信号灯には「浸水区間ここまで」の表示。
南相馬市図書館を訪問。
願いがかない、ゆっくり過ごさせていただきました。
貴重な資料
「としょかんのTOMOみなみそうま7年のあゆみ」には
豊橋まちなか図書館計画への
ヒントがいっぱいです!
車をさらに進ませました。
行きかうトラックには
「南相馬市生活圏除染事業 除去土壌及び廃棄物収集・運搬車」
○○工務店と掲げられています。
全国規模に事業拡大していることが伝わります。
図書館敷地内にあった
放射線測定器0.208μSv/hの
毎日の暮らしの中の静けさが痛ましい。
「東日本大震災津波浸水区域 ここから」の看板下を通過
さらに6号線を進む。
「帰宅困難区域」
自動二輪車、自転車、歩行者は通行不可。
車の窓を閉めたままで
浪江町から双葉町へ。そして戻る私は思う。
このまちに戻れぬ人たちのことを思う。
このまちの止まった時間のことを思う。
もやがかかっている。菜の花プロジェクトが目に飛び込む。
天災地震と人災原発震災の過酷な時間の中に
私が居たのは数分のこと。
「浪江町除染車両 ○・○JV」
発注者 環境省福島環境再生事務所」の車の
後を走る。
このまちの人たちの、これまでの命の流れが断たれた上に、
これから先、私たちの忘却が加速すれば
私たちの「いのち」はない。
「火の用心」の、のぼり旗が立っている。
連日、紙上の平和×戦争から目が離せない。
私が見たこと聞いたこと思ったことを伝えたい。
■16日(土) 朝。石巻に向かう。温室団地が続く。復興農政の施設団地。
農業は持続性からかけ離れた。
「土地区画整理事業 宅地造成工事」の大看板。
小雨の中を、釜谷の小川小学校へ向かう。
新北上大橋のたもとの三角地帯で被災した
小学生と先生たち。
校庭の2ヶ所の記念碑の前に立つ。
私たちの先にも後にも、訪ねる車は続いた。
ここを訪れることで忘れてはならないことを直視できる。
そう伝え続けたい。
昼過ぎ。雨が上がり始めた。女川原発のまちへ。
港の高台の病院では玄関先まで津波が着いたとの表示に驚く。
写真展示を見て、さらに詳しい情報を得ることができた。
復興喫茶店では貴重な資料を入手できた。
続いて石ノ森漫画館の見える海辺へ。
「石巻市復興まちづくり情報交流館」で
記念に着物リメーク作品を手に入れる。
ここでは日経新聞で連載中の小説の舞台に重なった。
■17日(日) 朝。松島の瑞巌寺参拝。ゆっくり過ごす。
港近くのこけし店で製造過程を見学。店の中まで津波が来たと聞く。
昼。仙台市内の知人の車で青葉区の定義如来(西方寺)へ。
名物の三角あぶらげと味噌おにぎりとこんにゃくを
人だかりに負けじと、夢中でいただく。
午後。秋保の大滝へ。新緑の際立つこと。秋にも訪れてみたい。
・***・今回の旅は私的な区切り3つの記念として、また、4年目の被災地に学ぶことを願って東北へ。宮城県と福島県の図書館情報を、3館で得ることができたことは幸いでした。