2016年02月08日

海老名市立中央図書館に行ってきました。

・・・ 先月末、研修のため上京した際、海老名市立中央図書館に、お昼をはさんで、3時間ほど滞在させて頂きました。以前視察で訪れた武雄市、多賀城市のことを重ねながら、豊橋市のまちなか図書館について、考えたいと訪問することに。思い出しながら書きます。話が前後したり、読みづらいこと、また、記憶の間違いがあったら、ごめんなさいね。豊橋のまちなか図書館がCCCと関連ないと言えないと思うようになってきて・・・。豊橋市では他都市のように、情報が小出しに表に出ないだけで、着々と進んでいるような気がしてなりません。だって、実施計画の発表がこんなに遅れることって、考えられませんから。民間立図書館の作り方ならイザ知らず、公共図書館建設の流れからして、市民への情報が不足しています。「市長が決めたことをやった」「ド素人」発言から学び続けるためにも、海老名市訪問は待ったなしでした。・・・
 新幹線を小田原で降り、小田急線で海老名市へ。冷えます。駅から歩いて10分ほどで海老名市立中央図書館に。周辺には公共施設が多い区域です。道路をはさんだ反対側にはマンション、再開発中の工事現場。
 CCC・「ツタヤ図書館」見学は、武雄市に続いて2館目。その間に宮城県多賀城市の駅前再開発の現場に行きました。そこでは豊橋の再開発計画に携わっている会社「ria」の看板が目に付きました。多賀城市では海老名市に続く、CCC・ツタヤ図書館3館目が予定されています。
 豊橋市にCCC・ツタヤ図書館が来るのか、どうかと、関心を持つ市民の方からの質問が増えてきたのは、小牧市の例があるからです。ここにきて、随分、関心が高まっていると思います。が、豊橋市では、未だに、図書館の全容が明らかになっていません。プロポーザルで決まった「実施計画」策定者のゲンスラー社には、図書館経験を持つパートナーがいますが、誰かは、「企業秘密」(?)か。情報公開で求めた資料では黒塗りでした。明日の委員会でははっきりするでしょうか?
 さて、海老名市中央図書館は、「コンビニ図書館」と揶揄されるように、入り口に立つと、武雄市と同じパターンの書店図書館が目に入ってきました。1階の一番よい場所が、書店・雑貨・コーヒー店で占められています。奥の方に、新聞や生活関連本があり、ここがいわゆる「図書館」。と思いきや、棚は「売り本=商品」の隣に「貸本=資料」。迷路のようになっています。軽音楽が流れているので、あ〜、ここは読んでも、借りても、買ってもいいんだなと、じわじわと、どうでもよくなってくる。図書館に来たはずなのに・・・。
 4階の児童書では、入り口に本やおもちゃを売ってるんだもの。子どもが、いや、初めて図書館に来た人は、これが「図書館」と刷り込まれることになると、「図書館」のモデルはどうなるのだろうか?
 コーヒー飲んで心地よく過ごせる図書館は、中央図書館が開館した昭和50年代に、豊橋市ではとうに実現していて、私たちはあたり前に思っていた。(手ぜまになって、今は閉鎖されたが。)また、屋外のテラスなども、当時としては斬新な考えで取り入れられていた。(1階のテラスは開館して間もない頃に閉鎖されたが、3階のテラスは健闘中。)玄関アプローチの段差無しなどは、実に今風であり、良くできている。
 図書館と看板掲げ、狭い敷地内で喫茶店が営業すれば、「図書館」は肩身が狭い。ただでさえ、図書館は地味だもの。ましてや、大事な図書館の個人情報が、書店データと接触することがあるとなると・・・。個人の「自己責任」=無関心と無意識で、済まされることなのかな。
 海老名では、武雄のようなマガジンストリートはない。豊橋の広小路にある 精文館&ツタヤに隣のコーヒーショップが合体して、その背に「図書館」があるという感じで、豊橋市民にはイメージしやすい。
 ここでは入り口で、「図書館」=知の世界へのいざないの流れは、堂々とくだかれる。ここはお「店」なのだから。図書館で「にぎわい」を、そのために必要だと、税金を投入してまでする必要があるのか。「にぎわい」は、民間が自力で作り出すことではないのか。公共施設として取り組むことなのか。議論が必要だと思う。にぎわい去れば、残るは、公共廃墟となることのないように。(豊橋の再開発のこの場所が、「民間去りて・・・・」の現場であるゆえに。)と、考え始めたら、大切なことがだんだん見えなくなる時代の流れに「図書館」が乗らされているように、思えてきた。
        〜〜〜 なるほど、だから、本屋図書館か。〜〜〜
○海老名の旧図書館の古くなった本が並ぶ隣に「新鮮な商品」。(本が売れます。)
○商品でもある本を手にするという図書館体験。(お得感が知的意識を緩めます。)
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○売り場の書籍の斜め立ては、武雄でも気になっていた。文庫本などの変形が見られる。売り物である。雑誌などは、さらに、商品棚疲れしている。武雄でもあった、高い段のダミー本。豊橋駅前のビルの最上階のラウンジでも見た。本でない、まがい本のある「図書館」って?書店なら許せる?ここでは、「資料」ということばが通用しないのではと思った。(書店の「飼料」?)
○木の床は心地よかった。階段を上がる。カーペットを敷いた階もある。2階には学習室。クローズドと、バルコニー型に閲覧席。ここには下からの雑音が上がってくる。満席。背後には図書館の本。フロアーでは、書棚が枡形の寄せ集めた形と、円形の書棚。そして、7段以上の本棚には茶と緑色のDICTIONARYとだけ書かれ、ラベル無し。1階の書店入り口で見上げたときに、高層の書棚や円形のデザインのための「動員本」または「めくらまし本」で、「本ではない」。
 豊橋のまちなか図書館では、地域館10万冊の規模に、3000〜4000uと、「身の丈以上」の投資が決定済みである。数年前、財政逼迫を理由に図書館なんてとんでもないと、頓挫した計画が、なぜ、ここでは、実現するのか。ファシリティマネージメントで、公共スペースは財政難を理由にカット対象なのに、駅前では青天井と思える。大いなる謎である。とてつもない規模を必要とする「デザイン」とは、誰のための、何のための「図書館」なのかと、改めて、海老名で考えた。
 2.3階の書棚は、武雄同様、枡形の組み合わせ。販売用の書籍はない。担当者1名カウンターに。つなぎスペースにはソファとテーブル。小物と葉もの。館内の観葉植物は充実していると感じた。
 3階 専門書が多い階。閲覧席はクローズドで静か。満席。(館内滞在用椅子数はどの位かな?)
 枡形の書棚のために、とにかく、くるくると回ってばかりいる感じがする。死角が多い。分類がツタヤの独自方式であるため、本に出会ったところで幸いという感じ。リピーターとして、各種の資料を利用したい場合、こうした「図書館」を使いこなせるようになるのだろうか。さしてヘビーユーザーでない私が、図書館で好きなことは、書棚めぐり。ついつい、わくわくがたまらない。本は探しやすいに限る。
 本のラベルは、旧図書館の古いラベルの上に張り付けられている。見つかる本だけを読み、借りる。ない本は買う。あきらめる。図書館の本はすべて「借りられる」(貴重本は館内)前提で過ごすことによる、「知的満足感」が満たされるのだろうか。レファレンスはどこか?気づかなかった。販売の台が兼ねてるのかな。
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      どういう本を市民が求め、どういう形で読みたいと思うのか。
      公共図書館が市民の求めに応じるために、投入できる税金はどこまでか?
        おおいなる議論が必要な段階を、豊橋は迎えている。
            が、その時間は限られている。
            2月8日から3月末までと。
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 本の貸出と販売が同時に行われる。こうしたことに慣れることで、「ツタヤ図書館」が、市民の文化を作っていくのだろうか。全国で一緒のツタヤ文化が、まず九州、関東、(ついで中部?)、そして東北に生まれる動き。「図書館」が本来の力を発揮するために、まず「人」、「資料」、そして「施設」と言われるが、ツタヤ図書館では、「施設=店」、「資料=商品」、「人=販売員」の順であると思った。そのための合理化が、直営を外れる形で進み、全国一律のツタヤ図書館ネット的流れが形成され、本来の図書館が廃れることになっては、本末転倒である。
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          とよはし「市民て〜ぶる」会議は
■豊橋の図書館ネットワークの中で、「まちなか」の位置づけと役割りを明確にしたい。
■駅南総合文化学習センター3本柱の構想では、芸術ホール(プラット)のみ開館して、図書館、生涯学習センター整備は外れた。が、図書館が「まちなか」へ移動したことで、ここには「生涯学習センター機能」も求められていることを声を大にして行きたい。
■この計画が目指す「効率的」とは?「経済的」とは聞こえない。「どの位まで税負担を考えるのか。」「上限を示すこと」「15年、20年、30年の財政計画を試算することなしに、この時代の新たな公共施設建設は許されない」など、声は高まりつつある。
(豊橋図書館○○前夜に。)




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posted by 渡辺のりこ | コメント(0) | 日記・コラム
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