2006年01月10日

夜の松葉公園でカレーライス

 皆さんから届けていただいた冬物衣料を車に積んで、夜の街を松葉公園へと走らせました。ここでは、毎週火曜日と金曜日の夜、サマリヤ会の皆さんが炊き出しを行っています。
 今夜は駅周辺の路上で生活している方たち10数名が集まっていました。まず、公園周辺のゴミ拾いをしてから、毎回、あったかいカレーと味噌汁が振舞われているとのこと。私も皆さんとご一緒に頂きました。
 どなたも「仕事がほしい」とおっしゃています。お届けした衣料から、それぞれに必要なものを、必要な人が、必要なだけ手にしていかれました。
 公園の近くにはカリオンビルがあり、こうした公共の建物や空間の果たす「新しい役割」について考えました。また、皆さんとお話することで、「まちなかの安心や安全」を考えるヒントを頂きました。
 炊き出しは7時から8時まで。この短い時間の一食が、多くの人々の暖かい気持ちの上に成り立っていて、それらが感謝して受け取られていることがよく伝わってきました。一日一日、自分の命と向き合って暮らしている人たちの、穏やかな表情と、お互いに心を通わせ合っている様子から、「ともに生きる」ことの原点を見た思いでした。
 「風邪を引かんようにな」と声掛け合って、皆さんは、公園をあとに、駅前方面へと帰っていかれました。そういえば、昨夏、「冬には風邪薬がほしい」と、伺っていたことを思い出しました。「寝袋で寝ると暖かくて有難いです」と感謝されているのを耳にして、サマリヤ会では寝袋の貸し出をされていることも思い出しました。
 いざ災害となったら、防災グッズや路上生活のノウハウなどの経験は、私たちにとっても、どんなに貴重な情報となって、生かされることでしょうか。松葉公園へ出かけたことで、寝袋を駅前近辺の防災倉庫の一隅に置かせてほしいと言われた、サマリヤ会の方のお気持ちがよく分かるようになりました。


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2005年12月16日

のりこ5分歩けば・・・

 犬年の私が歩けば何に当るのか・・・。自宅から事務所まで歩いて5分。山茶花の垣根のそばで深呼吸して、四つ角を左に曲がると、N夫人、いつものように、自宅と両側の隣家(ともに空き家)の前の道路まで、箒で掃いてくださっている。二つ目の四辻の角のお宅では、80代の女性二人がひなたぼっこしながら、おしゃべり。お庭に入っていって仲間入りする。「議会はどうですか」と、真っ直ぐに聞いてくださる。「ヘルパーさんというんですか。有難いことですね。お金がかかりますね。」と。長居できないので、お話の切れ間に、通りへ。雀が5羽、市営住宅の屋根から屋根へ。角のお宅から出てこられたのはヘルパーさん。「ごくろうさまです」と会釈を交わす。反対側のお宅ではヘルパーさんが車椅子を押して出てこられた。商店街の裏通りへと向う。お布団を干す70代の女性店主が体を乗り出して、ベランダで洗濯物を干している隣家の女性と元気におしゃべり。そこへ私も加わって、大声を上げる。風邪を引かないようにねと、お互いに言い合いっこして、表の大通りへ。お風呂屋さんの掃除の仕事を終えたばかりの女性とばったり。つやつやした肌に見とれる。
 私の顔は、このところ、ようやく<議会一般質問顔>から、ゆるやかな顔つきに戻り始めたところです。一般質問の前は徐々に緊張を高めていきます。12月3日ごろ、私の表情はゆとりなく、最低でした。質問が終わったからといって、すぐにもとには戻りません。徐々に解けていく感じです。議会活動は、議案審査などの課題ととも、緊急事態への対応もあり、常に健康管理と、集中に向けての、周到な準備を幾筋も求められます。同時進行のいろいろな問題を、引く、緩める、固める、解く、開く、閉める、引き締める・・・・を按配していくのですから、ときには、混乱も。調整のために、今日のような一日があると、助かります。
 朝の5分、歩きながら、出会う人たちと挨拶を交わす。ほんの一声で、私の気持ちに変化が生まれます。大切にしたいことが、こうした、何気ないことの中に、いっぱいあることを、思うことが多くなりました。


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2005年12月07日

平野舎柿ようかん

20051207.jpg まどか文庫の庭先では、毎年柚子の小玉が鈴なりです。その柚子を使って、平野さんが早速柿ようかんを作って届けて下さいました。薄甘のゼリー状のようかんに見え隠れするのは、スライス柿。トッピングが柚子仕立てという、健康おやつです。ケースがまた凝ってんの。ようかんの個ケースは、なんと、竹皮製!私、こんなステキなアイディア、始めて知りました。竹細工の籠のなかに丸いようかんがぎっしり。和紙でくるんで、紙紐で縛って、もみじをあしらって・・・・と。平野さんが手作りしながら、包みながら、あったかい気持ちをいっぱい、いっぱい、込めて、届けてくださったことが分かります。
 皆さんとご一緒に・・と思いつつ、薄甘なので、早めに・・・と、ぱくぱく頂いたしまってから、しまった!写真を撮っておくのだった・・・と。すみません。残ったケースだけをお見せします。(プラスティックでないため、ゴミにはなりません。)
 皆さん、来年をお楽しみに。平野さん、どうぞ来年もよろしくね。


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バレリナさんのリース「くるみ割り人形」

20051207_1_2.jpg  20051207_1.jpg 今年も届けていただきました。毎年好評のばれりなさんのクリスマス飾り。今年は「くるみ割り人形」〜お菓子の国のリース〜です。ちょっとご紹介しましょう。
★スペインの踊り・・チョコレートの精
★アラビアの踊り・・コーヒーの精
★中国の踊り・・・・お茶の精
★ロシアの踊り・・・トレパック
★フランスの踊り・・あし笛の踊り
★花のワルツ・・・・<花の精>
★金平糖の踊り・・・もちろん金平糖
など。

南栄ふれあいセンターも、クリスマスグッズで飾りました。お子さまもどうぞご一緒に遊びにいらしてくださいね。


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2005年11月03日

映画「亀も空を飛ぶ」「日本国憲法」上映中。

 映画情報をいつも届けて下さる三宅さんから、是非に!と紹介されていた映画2本を、文化の日を前後して観る機会に恵まれました。
 イラク戦争と日本国憲法9条をつなげること、戦争下における女性と子どもが、今、この地球上において、どのような状況であるかを、私はしっかりと見据え続けるきっかけを頂くことができました。
 「亀」が「飛ぶ」とは・・・?
戦争が日常化しているイラクの北部クルディスタンに「アメリカ」が人々の前に姿を現した。それは開放か、新たな戦争の拡大か。映画のフィナーレで「275日後に、また何かが起こる」という、ヘンゴウの予言で、平和への課題は、フィルムを通して、スクリーンの前の私たちの手に渡された。
 亀が「泳ぐ」「歩く」のは、平和な時代の証拠。アグリンは、自分の子ども・リガーを、亀のように背負い、両手を地雷でもぎ取られた兄ヘンゴウとともに難民として、主人公サテライトと出会う。彼もまた、多くの少年少女と同じく、戦争孤児である。
 村人の交通手段は、歩くこと。その中にあってサテライトは、情報収集や状況判断において有能な少年として、村々の長老から重宝されており、巡回の相談役として、足となる自転車を与えられている。村と外を結ぶのは、粉塵の中を走る相乗りトラック。飛んでいるのは、軍用機。
 戦争が近い! 一刻も早い情報をと、村人たちは焦る。情報収集手段は、「衛星放送」へひとっ飛びする。パラボナアンテナを立て、自衛のために、子どもも銃を持つ。市が立ち、物々交換が賑やかだ。ここでは子ども時代というものはない。私の育った昭和30年代の子ども時代に重なる毎日である。
 なぜアグリンは3mのロープを求めたのか。目の見えないリガーが、ママ、パパと、難民テントから外へ出る。2歳前後の、そのリガーの足をつなぎ止めておくためである。リガーは、「サダムの兵隊の子」。村を襲い、両親を失った際、逃げ惑う戦火の中で、アグリンに背負わされた運命である。
 アグリンは、何度もリガーを棄てる。が、苦しみは癒えない。その一方で、アグリンは眼の薬になると信じて、赤い金魚を探す。その金魚が棲むという池で、彼女は焼身自殺を試みる。戦争が終わり、難民テントから人は村へ帰り始めた。が、この3人に歩いて戻る家はない。彼女にとっての解決法は「飛ぶ」ことしかなかった。
 草原を見下ろす絶壁に、アグリンの青い一足の靴。ヘンゴウは土にひれ伏して、口にくわえ、アグリンに淡い恋心を抱いていたサテライトに託す。アグリンは飛んだのだ。空へ。
 あの池の底では、水色の長靴をはいたリガーが、ロープの先に付けられた重しとともに。戦争が終わって、「アメリカ」が入ってきた。「アメリカの金魚だから、染めていない、もう池には潜らないで」と、サテライトは仲間から、赤い金魚を贈られる。こすってみると、やっぱり、水は赤くなった。
 子ども達は皆、バフマン・ゴバディ監督と同じクルド人。このクルド語の映画の臨場感は、そのまま、戦争が日常であることに由来する。演技と現実がピタリと重なる。子ども達の表情が、言葉を越えて、メッセージを伝えてくる。リガーの動きと言葉を初めとして、画面であることを忘れて、最後まで引き付けられてしまった。
 「産めば母親なの?じゃあ父親はどこ?」とアグリンは兄ヘンゴウに向かって叫ぶ。泣くリガーを両手のないヘンゴウが抱く。・・・・映画のパンフレット(*)の中で監督は言う。・・・「アグリンはレイプされているという設定ですが、それは私の国、クルディスタンなのです。クルディスタンというのは、イラン、イラク、シリアとトルコに広がってクルド人が住んでいる地域をいいますが、昔からいろいろな人に、いろいろな国に、この少女のように蹂躙されてきたのです。そのようなことを絶対に許さない。アグリンはレイプされて子どもが生まれてきたのですが、そのような子どもを絶対につくらせない、ということを含めてこの映画を作ったのです。」 
(*)EQUIPE DE CINEMA No.153<岩波ホール>


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2005年11月01日

NPOが担うつどいの広場・豊川

20051101.jpg 去年8月に、NPO法人たはら情報広場の皆さんを学習会の講師としてお迎えしたあと、しばらく間があって、今日は2回目。豊川市の梅村さんをお迎えして開きました。梅村さんは、NPO法人とよかわ子育てネットワークの理事、こどもとおとなの広場MAH(マー)の、つどいの広場責任者として、活躍されてこられました。
 子育て支援が毎日話題になる前から、私たちは、子どもの文化活動を通して、渥美半島から、豊川、蒲郡、新城・・・と、仲間たちの輪の中で、活動していました。
 豊川市では、今年4月に子育てネットワークが、NPO法人となり、ついで6月からは、つどいの広場事業を受託して、活発な活動を展開中です。
 ボランティアや自主活動では見えなかったことが、具体的に問題となってきます。支援をする料金の設定の問題、地域広場で行われる子育ての質の問題など、次々に講師への質問が続きます。
 豊橋市内の子育て支援で、今一番必要なのは何か。じっくり取り組みたいと思っています。


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2005年10月10日

「のら」からの授かり物

 小雨の中、向山の文化会館へ。今夜はここで、豊橋おやこ劇場高学年部会例の劇団風の子「のら野良」が取り組まれるのです。受け付けでは懐かしい皆さんのお顔がいっぱい。席に着くとすぐ前は田原の星也君。始まる前からワクワクしてきました。
 久しぶりの観劇。現実を引き入れつつ(最初のライトの扱いは素晴らしかった!)始まった劇は、ステージと客席を分けることなく進みます。キャストの心の動きは細やかに、ときには大胆に。音楽とともに、ステージを吹き飛ばさんばかり。なのに、そこには、いつだって「現実」があり、「夢」があり、その間をキャストと一緒に観客も一緒に行き来する。歌う、踊る。笑う。悲しむ。そして考える。
 物語は倉庫に住む(?)「ホームレス」の3人の子どもと老人一人。そして毎週金曜日にここを秘密の隠れ家として現れるその名もフライディと呼ぶ少年と、ふとしたことで家出して、ここへ逃げ込んだ主人公。それぞれのキャストの個性が、そのまま、現代の子どもと家庭と社会の問題を象徴している。ふれあいの中に徹底しているのは、生きること=食べる事=稼ぐこと。そのためのルールは、徹底した平等と汝盗むなかれ、嘘をつくなかれ。問題が生じたときだけがリーダーの出番。それ以外は、全く対等。見事なほどに。それぞれが自立しているから、このことが可能なのだ。
 劇はとうとう終わりまで観客席と一体になったままだった。今夜の劇は終わったけれど、子どもたち、家庭、社会の現実は変わらない。でも、今日、私たちがここで観たものは、主人公もまた「夢」と思った思いに重なる。ならば、追い求め続けよう。「のら」からもらったものを。生かしてみよう、私たちの毎日の生活に。日々の糧を得るために、自分で考え、実行する彼らの生き方から、「自立」のテーマを私は授かった。私の毎日の活動と暮らしを点検しなくては。ホールいっぱいにあふれた快いリズムとともにDo−のら!
 文化会館ホール前の広場では、ホールから出てきた小学生のギャラリーを前に、張り切るスケボーボーイズ。金髪の青年は、仕事を終えてここで楽しんでいるのだとさわやかな笑顔で語ってくれました。この屋根つきフリースペースで、高校生のグループがダンスに興じているのもよく見かけます。なんとステキな公共施設の利用方法でしょうか。
 文化会館の駐車場を自転車が横切って行きました。こんな遅くまで仕事・・・。荷台には空き缶を詰めた大きな袋が三つ、スーパー袋がこれまた三つ、その下にぶら下がって・・・。この男性の今夜の宿はどこでしょうか。これだけの量があれば、(以前、ビンカンボックスから抜き取って帰る人に声をかけて聞いたことがあるのですが)明日の食事は大丈夫でしょう。


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2005年09月27日

80代〜90代の女性は元気いっぱい

 早朝、町内を歩いていると、向こうから、94歳の近所の女性。シニアカーをひいて、公園からのお帰り。「今日は公園の草取り、昨日はFさんとこのそばの草をきれいにとったよ」と。腰を伸ばしながら、「早くお迎えが来ないかな。こうやっていれば早くお迎えがくるかね。」と。「神様しかご存じないもの。私には分からないわ。でもね、誰にも必ず来るお迎えだから、それまでは、元気に居てくださいね。私たちも嬉しいから。」と伝える。
 84歳の一人暮らしの女性、「早くお迎えが来てほしい。私は生きていても皆さんに迷惑かけてばかりですから」と。そしてその次の一言。「ねえ、Mさん、地震になったら助けて下さいね。あなたが頼りですから」と。皆さんの気持ちの中には、こうしてしっかりと明日=未来=希望があるのです。こう言われる皆さんの元気に、私たちはまた、励まされます。
 私たちのまちには、お元気な高齢女性がいっぱいです。花を育てていて、とに角笑顔がいいです。自分で食事を作り、地域の草取りなどのチョコ・ボラに参加したりと、毎日の生活そのものが生きがいになっているようです。お話の中には必ず感謝の言葉が出ます。他人をうらやむような言葉がありません。
 80代の方がお嫁さん自慢するのを聞いていた別の80代の女性曰く。「あなたはいいわね。私には、そういう良い人がいないもんね。」と、にこにこ。傍で聞いていた私はどんなにかほっこりした気持ちになりましたことか。
 私は生活の中で何気なく交わされるこうした言葉を大切にしたいと思います。まさに地域の潤滑油です。言葉の使い方が難しい時代です。失敗が許せないからと、口ごもると、いっそう言葉が硬くなります。お互いに、ゆるやかな、かかわりを大切にするためにこそ、言葉を大切にしたいです。
 火を使うことは、原子力発電まで行き着きました。足を使うことは、車で足りる時代です。そして最後の砦である、言葉を使うことがなくなったら・・・・もう、人間ではありえませんから。


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2005年09月24日

これからの日本はどうなるの?

 衆議院選挙が終わったあとから、市民の皆さんの不安な声が続々と届くようになりました。電話口で絶句した心理学がご専門家の方も。今日も店先で、立ち話で、次々に聞かれました。国会の絶対多数の安定が、国民の最大不安をかき立てているのです。「このままで日本は大丈夫ですか」と。
 何でもあり、何でもやってしまう、約束はしない、反対する仲間をとことんやり込める、政治を面白おかしくすることで、本当のことを隠したままで、皆が気づいたときには、もう遅い、いや、もう、すでにおしまいなのでは・・・と、不安の声は続きます。
 「政治は大事ですね」と、メッセージも届きました。普段「政治」を語ったことのない市民の皆さんが、これだけ真剣なまなざしで、自ら話しかけて下さるのは、初めてのことです。
 「頑張ってください」「どうなるのか、教えてください」「何ができますか」という、私への問いかけも真剣です。「戦争への道を進ませないで!」との思いで、あふれています。戦争が非人間的なものだから、その道へいたる「教育」「文化」「自由」・・・がいかに非人間的なものに変えられていったかを、先の戦争から私たちは学んでいるからです。
 衆院に憲法調査特別委員会が設置されたことにより、「国民投票法案」がいよいよ現実となってきます。「憲法9条の2」を変えるための法案であることは明白です。今の平和を守るために、しっかりとこの点を見据えていくことが必要です。その国民一人一人の声が生かされない方向が急進しているのです。絶対過半数以上の議席を許したツケです。国民一人一人の胸に、刺客の刃が、向かってきます。とんでもないことになります。「平和」の危機です。
 すでにイラク戦争の真っ只中の日本。今までの戦争が分かりやすく書かれている本(*)に、出会ったことで、私は、声を大にして言うことができます。子どもや孫のために、絶対に9条の2を変えさせない!

(*)「あたらしい戦争ってなんだろう?」
山中恒・山中典子著(03年7月刊/理論社¥920)
図書館でかりれます。私は早速書店で購入します。どうぞご利用ください。


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2005年09月17日

中央図書館に赤白の彼岸花

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20050917_.jpg朝夕が過ごし易くなったなと思ったら、図書館の駐車場東口では、秋の花がひょっこり。赤と白の彼岸花のつぼみです。まさに「暑さも彼岸まで」ですね。
 午後も遅くなると、おやつがほしくなることと、美しい夕焼けの日も増え、6時半を過ぎると、もう手元・足元が暗くなることで、秋を感じ始めていたところでした。月が冴えています。そういえば、涼しさをいっそうかきたてる虫の音には、もう、随分耳慣れしているこの頃です。
 今年の夏はメリハリがあり、私はあまり熱帯夜を感じることはありませんでした。こうした秋へのバトンタッチが着実に行われること、この自然のリズミを感じ、ほっとします。信じていて、裏切られることがないことに。
 写真を3枚、お楽しみください。


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うれしい「言葉」にいっぱい出会いました。

 9月議会が一段落したので、今日は駅西方面の活動を中心に組みました。図書館では「まんま広場](NPOまんま主催)を見学。わらべ歌や絵本の、やわらかい言葉が、参加した母子のひとりひとりに届いていました。テレビなどでは伝わらない、人の声のぬくもりが、空気を作ることを体験。まだ言葉を発しない子どもたちへの、最高の時間となっていました。
 衆議院選から、まもなく1週間。言葉について考える毎日です。誰からともなく、「これでいいのでしょうか」という声が、毎日、発せられています。一人から一人へ。思ったことを、言葉に出していきましょうと、粘り強く、生活レベルでの民主主義を実践しています。図書館で「ナチ・ドイツと言語」(宮田光雄著/岩波新書)を借りました。
 介護保険と身体障害と生活保護の3つの問題を抱える方の自宅を訪問しました。60歳前で、脳梗塞の後遺症を持ち、一人暮らしのこの方の生活を、社会はどのように支える仕組みがあるのか。遠慮がちに訪問依頼の連絡が携帯電話に入る度に、私は課題を頂いています。「こんな私のために、忙しい時間に・・」と、手を合わさんばかりに言われますと、本当に恐縮します。私がお助けするのではありません。病気になられるまでは、納税者として、義務を果たされてこられたことに対して、今度は社会全体で、お支えするのです。ご遠慮は要りませんと、繰り返します。傍らのテーブルには、ヘルパーさんが準備された夕食の中華飯がありました。
 市役所に戻り、関連する幾つかの課で、この方の今日の様子をお伝えして、相談する途中で、児童福祉課の窓口を通りました。まもなく2歳になる女の子がむずかっていました。「あらあらどうしたの」と、しゃがんで、声をかけました。泣き止んで、じっと眼を開いて耳を傾けてくれます。離れるとき、バイバイをしてくれました。
 介護保険のカウンターで、若い女性職員二人を前に話し始めた頃、5時15分になりました。「ご免なさいね。終わりの時間になってしまって」という私に、二人は「いいえ。勉強になりますから」と、にっこり。
 人と人とつなぐ「あったかい言葉」にいっぱい出会えた一日でした。


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2005年09月03日

スリランカへぬいぐるみ到着

 皆さまからお寄せ頂いたぬいぐるみは、7月1日に船便にて発送しました。8月20日到着と、現地のササキ先生から、まどか文庫のみなさんによろしくと、お手紙を頂きました。荷物の到着数日前に、先生のご友人のミセス・フェナンドが、「デヒワラで津波にあい、両親や片親をなくした子ども達34人(乳児は3人)を集めて孤児院を作られた方の所へ届けるものがあれば・・・」と申し出てくださっていたので、渡りに船と、デヒワラ孤児院へ届けられることになったとのことです。
 皆さんお預かりしたぬいぐるみが、スリランカの子ども達の心を少しでも温めることができればと願っています。ご協力、有難うございました。子ども達が写った写真もお手紙に同封されていました。元気な笑顔がいっぱいです。
 台風シーズン到来。アメリカのハリケーンの惨状には、悲しみを通して、この国の在り方を考えざるをえません。テロ対策の優先で、水没地域の対策が遅れ、国民が犠牲になったとの報道もあります。イラクから即刻アメリカ軍が撤退することを期待しています。戦争や災害では、まず、子ども、高齢者、貧困層が、犠牲になることを、私たちは、世界の今日の出来事を通して、繰り返し学んでいます。
 私は津波のニュースまでは、スリランカという国のことは、ほとんど知りませんでした。デヒワラ孤児院の皆さんとは、これからも、ささやかな交流を続けていきたいと思います。まんまの会のような子育てグループ「てらこや」もあるとのこと。子どもを思う気持ちは、どの国でも同じです。その気持ちが世界中でつながれば、絶対に戦争が入り込む余地はないのにと思います。
 そういえば、アメリカのブッシュ大統領の避暑先で、戦死した息子のことを通して、声を上げた一人のお母さんのことが報じられています。一人の声が、多くの共感を呼ぶ時代でもあります。発信なくしては、繋がりません。「ぬいぐるみ」を通して、私は、世界の暖かい「つながり」を確信し始めたところです。


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2005年08月15日

「家(うち)ページ」で笑顔

20050815.jpg<2005年8月14日岐阜県大垣市にて>
 初めて高校の同窓会に参加。40年振りに、セーラー服時代の仲間や、お世話になった先生方と近況交歓。全員で校歌を歌う時、涙が溢れ、滲む視界の合間に、思い出が、ゆっくりと、見え隠れしてきました。
 国語の恩師はディーン(生徒指導)の岩越先生。怖いが、とても信頼し、尊敬していました。先生は退職後、英語俳句、鶴亀折り紙考案をホームページに掲載と、85歳の今も、病なしで青年の元気そのものです。今だからというお話をいっぱい聞かせていただける同窓会ならではの「人間同志」的雰囲気で、2次会、3次会へ。ノンアルコールで話は切れることがありませんでした。
 岩越先生は、現在のお話も豊富でした。先生のホームページを介して、この間、10名近い子どもたちとの交流があったようです。鶴亀折り紙をやり遂げることを通して、子どもたちの多くは学校復帰をとげたことが伝えられてきたと、嬉しそうに話されました。ディーンとして、胸に辞表を収め、何度も、警察へ、生徒の引受人として出向かれた、先生の人間に対する限りない信頼。今も変わらぬ力で、先生は毎日を生き抜いていられるのです。
 またこの4年間、一度も笑われなかった高齢女性が、インターネット上で、先生の折り紙を通して、声をたてて喜こばれるまでに回復されたと、家族の方から報告があったとのお話には、身を乗り出して聞きました。是非、高齢者のためにも、手先と達成感にとって、手間暇金もかからぬ「鶴亀折り紙」を!との先生の願いを、私はこれからも豊橋で引き継いでいきたいと思いました。
 その高齢女性は、「うちページ」の鶴亀の折り方が、きっかけでした。彼女にとっては、ホーム=家(うち)。だから、うちページと記憶されたのでしょう。
 40年前の私たち生徒との関わりも、今日のこうしたネット上での、お互いの名前も分からない方々との関わりにおいても、先生は、謙虚に誠実に、整理された一部分だけをお話下さいました。今も学び続けていらっしゃる恩師の後を追っているのですから、私たちが学ぶことに終わりはありません。高校卒業して40年。生涯学習が先生の存在で、また一層身近になりました。
 ■先生のホームページを是非、訪問下さい。■
 アドレス:http://www5.ocn.ne.jp/~seifuh/
      「21世紀の創作折り紙」


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2005年07月01日

教科書展へ行ってきました。(1)

 ライフポートの教育会館では、7月5日まで、教科書展が行われています。会館2階の図書室では、私がでかけた日は、3名の市民の方が閲覧中でした。市民の方の関心が高い様子がわかります。
 中学校用の国語、英語、社会(歴史・公民)、小学校用の道徳を中心に手にとってみました。朝10時から午後4時までの時間をかけても、6社ほどの出版社の、それぞれの教科書に目を通し終えることはできませんでした。 教科書見本を特定して手にするだけでは、展示場へ足を運んだ意味はありませんから。
 私自身が教科書を手にしたのは、昭和20年〜40年代。そのころの教科書とは全く様変わりしています。20年前には、子どもたちの教科書に、15年程前には、英語の教科書に触れる機会がありましたので、新しい教科書は、身近になっていました。が、写真、イラストが盛りだくさんで、各ページごとに、さまざまな工夫が、ここまでされていることには、驚きました。
 この数年は、「歴史」教科書が話題となっています。歴史上の事実をめぐっての、問題点がことさら削除・列挙する、落ち着かぬ編集、加えて単純な誤字の訂正文がはさまれている見本本もあり、製作のプロセスが疑問視されます。教科書の位置づけがいかに大きな変動の時を迎えていることかと思います。特定の教科書の採択が無理強いされ、一つの価値観を押し付ける動きには、敏感にならざるをえません。子どもたちが落ち着いた雰囲気の中で、さまざまな価値観を通して、自分の考えを熟成できる機会となる教科書が採択されることを望みます。


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2005年06月27日

まちづくりと夕涼み

 夕食を終えて、下駄をころがしながら、歩いて5分の事務所へ戻る途中、商店主と立ち話。このまち大好きって、どんなとこ?と、話しが弾みました。子どもと老人が大切にされているまち、みんなが声かけあう町、お花がいっぱいのまち。市営アパート、商店があるまち・・と、次々に。
 安心・安全のまちづくりは、監視社会と無縁になること。お互いが、もっともっと近づくことだねと、意見が一致する頃には、道路際に座り込んでいた私たち。そうそう、縁台があって、夕涼みした、あの時間を!ゆとりは学校教育だけでなく、地域にも。総合学習は、地域で言えば、社会教育。
 今、私は、昭和23年創刊の東三新聞(復刻版昭和24年分)を読んでいます。私が3歳のころの豊橋市の毎日の様子が手に取るように分かります。とにかく面白い。次々に読む。文字は7ポイント位のA4版。見出しにつられて、読み進む。平和、子ども、環境、教育、女性、議会・・。連日書かれているのは、政治の話。内容が熱い。タウンミーティング、民主主義、アメリカ統治下を示すカタカナ名、今に続く市制の、さまざまな組織の始まりを読むことができます。こども模擬市会等今、私たちが避けて通っていることが、大手を振って、議論されているのです。
 この夏は、この60年を振り返る時。ことに昭和20年代について語ってくださる方のおっかけを続けます。


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2005年06月15日

「花の町」  岩瀬正雄作

 去る5月22日付け東愛知新聞シグナル欄に、池田謙先生が書かれた〜「花の町」を歌おうよ〜で、初めてこの作品のことを知りました。
 ぜひ、この詩を「からたちの会」で紹介していただきたいとお願いして、実現しました。
 この歌を通して、子ども、花、市制百周年、松葉のこども施設・・・と、どんどん想いがふくらんでいきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 花の町
1.
お早うさん 
お早ようさん
朝の光に 咲くつつじ
顔もほのぼの咲き匂う
わたしの町は 春の町
みんな輪になり丸くなる
つつじ 豊橋 花の町

2.
そよそよと
そよそよと
南の風が 吹いてくる
海から山から寄ってくる
わたしの町は 愛の町
みんな輪になり手をつなぐ
つつじ 豊橋 花の町

3.
しあわせの
しあわせの
青い小鳥よ 青い空
みつばち 小蜂飛んでくる
わたしの町は 夢の町
みんな輪になり歌になる
つつじ 豊橋 花の町


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2005年05月22日

一日中「杉山」のあったかさの中で

 どこ見ても緑いっぱいの杉山で、一日中過ごさせていただきました。午前中は、まどか文庫の「ゆめ基金」助成活動で、私は「こすずめのぼうけん」を語りました。茶色の羽が生えたこすずめが、世界旅行にでかけたところ、羽を休めるための「巣」がどこにも見つからず、最後に、お母さんの羽の下で休むというお話です。あったか〜いお話の余韻を引きずりつつ、午後は、議会報告会&のりこと語る会に。
 30名以上の皆さんが、2時間半近くも、熱心に耳を傾けて下さったことに感謝します。議員報酬、政務調査費、行政視察、質問時間、3月議会一般質問などを中心にお話しました。
 市民協働を進めるためには、「市民力」を蓄える必要があります。そのために、図書館の果たす役割は大きく、豊橋市の場合は、他都市に大きく遅れをとっています。乳幼児、学校と進めてきた「本とともにある暮らし」の次のステップは「市民館」の図書室の充実が課題であることを、お話しました。
 皆さんからのご意見も、次々に頂きました。保育料無料化、介護保険、小学校の図書館、杉山ネイチャーセンター構想等々、話される方、聞き手の皆さん双方の熱意が感じられました。杉山のまちづくりを、のびやかに伝え合う皆さんから学んだことは、お一人お一人の言葉を発することを通して、お互いの信頼を、作り上げてこられた、長い時間の積み重ねです。私がお伺いする「まち」では、いつもこうした皆さんに励まされます。


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2005年05月21日

"のりこ" と語る会

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 昨日、"のりこ"と語る会に参加しました。
参加された皆さんはとても熱心で、和やかな雰囲気の中、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
 議員からは市議会報告等、皆さんからは色々、質問が出ておりました。
 全盲の方が参加され、お話を聞きました。
昨年末ご主人を亡くされ、子供さん3人とご主人のご両親と暮らしている若いお母さんです。
彼女の前向きで、しっかり自立している様子に胸を打たれました。
目が見えている筈の健常者の私には、見えていないことが沢山あったことに気づかせていただいた、とても良い会でした。


 お世話になりました。大勢の熱心な皆さんにびっくりです。佑子さんのお話には、いつも元気を戴いています。


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2005年05月16日

アンネのバラが満開です。

20050516_3.jpg  20050516.jpg
■写真:ケンタ君ちのばら・まどか文庫のミニ花壇・満開のアンネのばら

20050516_2.jpg■挿し木を楽しむ時期がきました。バラはもっぱら挿し木で、庭から庭へ。このオレンジと朱の混じったバラはアンネのばら。数年前、栄校区のケンタ君ちの庭から届きました。まどか文庫で増えたアンネのばらは、またその先の庭へと・・・。つぼみから、咲き始め、満開へと、さまざまな色合いを楽しんでいます。平和な日々とともに。いつまでもアンネのばらを挿し木で増やしたいから、9条を変えることに反対です。

■自宅から事務所まで歩いて400歩。途中、目に入るばらを数えてみましたら、なんと「11種」も。この市営住宅街の、それぞれのミニガーデンの花壇はとても個性豊かです。住宅建替えで、この「緑と花」の季節が変わることのないよう、今から、智慧をだしていきたいと思います。


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2005年04月27日

岐阜市生まれの藤垣根

20050427.jpg まどか文庫(自宅)の塀にしがみついて咲く藤。1977年に岐阜市から豊橋市へ転居した際、藤の若枝1本を引越し記念に岐阜市から持ち込んだのです。南小池の坂道に沿った古い借家の、新しい板塀に、見事な花房がいくつも下がり、私は岐阜市への郷愁を重ねていました。
 2年後に南栄の現在地に引越し。築25年の家でしたが、古い町並み、南向き、駅と公園が近い点が気に入って、ここで子育てが始まりました。まどか文庫を再開できることも嬉しくて。
 今度はブロック塀です。ぐんぐん伸びる藤つるを、面白半分にブロックの隙間に通してみました。毎年、ずしりとした花を咲かせてくれます。気がついたら、もうかれこれ30年近くになっていました。狭い庭の隅に植えたソメイヨシノも25年近くになり、毎年賑やかなセミのリゾートツリーとなっています。
 長良川のほとりで、金華山を見上げつつ、散歩やスケッチを楽しんでいた20代の私にとって、豊橋市への転居で一番うれしかったのは、豊川。でも、毎日の生活の中に川とのふれあいが持てないことに気づきました。金華山に代わる山として、石巻山を選びました。が、自転車で1時間かかるこの山を生活の中に取り入れることはできませんでした。せいぜい、子ども達をふもとの幼稚園に送ることだけでした。
 毎日の生活から、川、山も離れて、次に求めたのは、公園でした。まず、南小池の公園。ここでわが子は公園デビュー。その時の仲間とは、今も変わらぬ友情を保っています。向山の大池公園にも、お弁当を乳母車に入れてよく遊びに行きました。時には海を見たいと、大崎までも乳母車を引いて。その帰り道。日暮れて、心細かったこと・・・。
 南栄の住宅街の公園は、二人の子どもを育てる際、また、まどか文庫を再開したこともあって、どんなに思い出作りに助けられたことでしょうか。また高師緑地公園は、生活家庭館とセットで、公民館活動の拠点として、豊橋市で最高のロケーションであると、誇りに思っています。
 豊橋市のまちの自慢に私はこうした公園を上げたいと思います。豊橋市へ越した当初は、岐阜市への郷愁のみで明け暮れていました。が、随分長い間、私は藤垣根の年を数えなくなっていました。すっかり豊橋に根付いたんだなと思います。ここ豊橋は、子どもたちの故郷。ここを祖父母の地と呼ぶ孫の誕生で、岐阜市はまた一段と遠くなりました。だからこそ、一年に一度、藤の咲く頃は、岐阜市の山や川を思い出してみましょう。今年の藤はよく香ります。


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